人文系の大学院留学

…を目指して断念した人のつぶやき。

Ph.D. 出願のための推薦状を書いてもらうということ

先日、指導教員と話す機会があり、少し前にこのブログで打ち明けた悩みや迷いを聞いていただくことができました。正直に自分の気持ちを伝えることができて、ほっとしています。

 

studyabroad.hateblo.jp

 

結局、「行っても行かなくても後悔する、だったら私は行って後悔したい」という気持ちは今でも変わりありません。今から就職して数年後に「やっぱり留学行きたい」と思っても身分が学生ではないとなると、奨学金の機会が限られてくるし、実現するのは限りなく難しくなるからです(今、学生の身分で出願することが楽だと言っているのではありません)。

どのようなモチベーションを持ってPh.D. に出願するにせよ、今の私が厳しい戦いを強いられるのは確実です。海外経験はないに等しいし、出願までに論文を出せるかどうかもわかりません。細々とつながりを持っている研究者はいますが、強力なものではありません。人文系の大学院留学、特にPh.D. 課程への出願において推薦状がどれくらいの位置を占めるのかは諸説ありますが、それを書いてくれそうな先生もまだ探せていません。「推薦状が最重要」という考え方もあれば、逆に「推薦状なんて見ない」という考え方もあります。どちらの考え方にも一理あり、そういうわけで推薦状をないがしろにするわけにはいきません。「誰に」「何を」書いてもらうかは、ある程度戦略を立てていかないと失敗します。

私はこれまでたくさんの日本人Ph.D. 学生の方のブログを読んできて、推薦状は自分の指導教員のほかに、「交換留学先などで授業をとり、いい成績をとった先生に書いてもらった」パターンが多いことに気付いていました。だから交換留学中に授業を受ける予定だった先生に書いてもらうつもり満々でしたし、中止が決まった後もどうにかして京大の先生の授業に参加できないかと機会をうかがっていました。その一つとして、コロナ禍でオンライン授業になっているのを利用して、日本の他大学の先生(アメリカのPsychologyでPh.D. をとっている人)にアプローチして授業を受けさせてもらって、あわよくば推薦状を書いてもらおうと計画しました。最初は「アメリカのPsychologyのPh.D. 進学を考えているから相談に乗ってほしい」という体で話していたのですが、途中で計画を見抜かれたのかこんなことを言われました。

 

授業に出て期末レポートかなんか書いて出したところで、誰も推薦状は書きません。心理学の場合、ラボの実験のアシスタントを無給なり有給なりでやって、データ集めとかに参加して、運が良ければ論文のcorresponding authorに加えてもらって、それを1年くらい続けてようやく推薦状を書くかどうかというレベルです。

 

甘かった。甘かったです。私のこれまでの情報収集に裏付けられた期待は見事に裏切られました。心理学の出願特有の文化なのかもしれないし、もしかしたら私が他の方のブログで見た「授業で好成績をとった」云々は実は謙遜で、ラボの運営に積極的に参加していたのかもしれない、それはわからないしどうでもいいです。その先生によると、研究経験やどこかのラボの研究を手伝った経験がないとcompetitiveなアメリカのトップスクールには受け入れてもらえない、とのことでした。初対面でピシャリと言われたのでその時は落ち込みましたが、考えてみればそうだよな、という気もします。分野を問わず基本的にアメリカの大学院は「大学が院生を雇用する」という形で奨学金を与え授業料を免除するので、大学院生を受け入れるのは大学にとって多大なコストがかかります。世界中から届く出願書類の山から、大金を積んでまで受け入れる価値がある院生を見つけ出すプロセスにおいて、研究経験が乏しい出願者はまず外されるでしょう。研究に自発的であれ補助的であれ参加することは、推薦状の獲得のみならず自分の価値を高める点においても重要なことは明らかなわけです。

 

出願の1年以上前の今、このような厳しい現実を知ることができてよかったです。これから戦略を練り直します。